音楽、フルート、ハイドンコレギウム。3つの出会いのお話(2016/5/5)vol7
この記事の投稿者: HCメンバー
さて、今回は、超大作です!雑記屋さんといえば私が入団した頃は演奏会で影アナをしてくださる方という以外は謎に包まれていましたが、こうやってHCPに取り込まれてしまったんですね~。
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「ことりがね、おまどでね……」
音楽との出会いのうたです。虚弱で、幼稚園にさえまともに通えなかった私の手を引いて、祖母が連れて行ってくれたYAMAHAの音楽教室。あまりにマイペースな生徒で、しょっちゅう先生をあんぐりさせて、祖母にひどく叱られていたのを覚えています。決められたカリキュラムがつまらなくて、アニメの主題歌とか、歌番組で聞いた歌謡曲とか演歌とか、勝手に伴奏をアレンジして弾きまくっていました。ピアノは遊び道具で、聞いたことのある曲なら楽譜がなくても弾けてしまっていたあのころ。大人になったいまでは、もう、そんな芸当はできません。ただ、いまも音と連動して頭の中で色が浮かぶのは、きっとYAMAHA音楽教室のせいですね。
はじめてフルートを手にしたのは、中学のときなのですが、詳しいことは忘れてしまいました。入学時、身長145センチ、体重35キログラムくらいしかなかった私に、吹奏楽部で与えられた楽器がフルートだったのだと思います。でも1年で体をこわして部活どころではなくなり、高校まではおとなしくピアノと声楽をやっていました。大学に入ったとき、中途半端になってしまったフルートを再開しようとレッスンに通い始め、大学のオーケストラに入団してしまいました。学業そっちのけで、くる日もくる日もオケ。人生の大事な時期に、ひょい、と快楽の方角へ舵を取ってしまったわけです。研究室の先生も留年を本気で心配し、私がゼミを休むと「誰かオケに行って、引っ張ってこい」と同級生に言ったくらい。今は亡き恩師、可愛がってくださっていたのに、ほんとうにごめんなさい。
卒業したあとは一人前に仕事ができるようになるまではフルートどころではなく、出産、子育てもあって二度目のブランク。そして次女を出産直後に敬愛する現在の師匠と出会いました。以来20年あまり。こんなデキの悪い弟子を、放り出すこともせずに指南し続けてくださる師匠に感謝、感謝の日々です。私の楽器は師匠が自分と同じモデルで注文してくれたロンドン生まれのフルートです。つややかで美しい音色が出るはずでした。ところがっ! これがじゃじゃ馬でっ! なかなか言うことを聞いてくれない。あ、いや、すみません。ほんとうは私の技術が追いついていないだけです。それでも、まれに、すごくまれにね、「おやおや」ってにんまりするような音色が出てくれたりする。罪作りな楽器です。
ちなみに、キラッキラしているので、すご〜く高価にみえますが、なんのなんの、弦楽器の方にしてみたら、弓1本にも満たない金額ですよ、きっと。
ハイドンコレギウムの演奏会は、創立して間もないころから聴いていました。右近先生に、ほかのオーケストラでお世話になっていて「楽しいから、ぜひ聴きに来てよ」と言われて。それがまもなく「ね、受付、手伝ってよ」になり、「今度はフルートの出番があるよ」となり……。数年前に、お仲間に入れていただいたときは、うれしかったけど不安もいっぱいでした。レッスンではフレンチスクールの先生の指導を受けているので、18世紀の奏法との違いに右往左往。しかもいきなりの「ドSolo」という局面に脳みそがショートして、ぼ〜としてしまったりすることも。人生は修行だが、音は楽しまなければ音楽にならん。今回のバッハも、その狭間で悶々と悩む日々です。
ハイドンコレギウムは、成熟した大人のオケです。みなさん博学で、ダンディな男性とエレガントな女性ばかり。指揮者の右近先生の頭の中からは、あっと驚くアイディアが、ひょい、ひょい、と出てきます。もしかしたら、本番をいちばん楽しんでいるのは右近先生なんじゃないだろうか……と勘違いしそうになることもしばしばです。サービス精神に溢れた右近先生のアグレッシヴな棒と、そこから紡ぎだされるやわらかい音色の妙味を、ぜひたくさんの方に味わっていただきたいです!(雑記屋)
HCP(ハイドンコレギウムプレイヤーズ)では団員を募集しています。
詳しくはこちらをご覧ください。
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